秋の夜長にちょいと闇

涼しくなってきたからだろうか。
やけに感傷的な気分になる夜がある。


今日もそんな夜だった。
お風呂に入って頭を洗っていたら、いつもより髪の毛が多く抜けたのだ。
それもごっそりと。
なんだか自分を大切にしていない気がして、悲しくなってしまった。

 

自分を大切にしていないといえば、思い当たる節はある。
過去のトラウマを思い出して、自分で苦しがっていること。
経験したことのある壁にまたぶちあたって、悩んでいること。

 

最近ではこう悩みを書くことすら
「ほら見て。心配してね。」と宣伝しているみたいで、
なんだか、気まずい。

 

過去に色んなものを置き去りにしてきた。
その時のにおいとか感覚とか思い出されると、ふいにとても悲しくなるのだ。

 

未来が見えない。
未来の形や色すら見えない。真っ暗ではないんだけど、明るくもないような、
ただぼんやりとだけ存在している。

 

だが、昨日の夜、少しだけ、過去を清算してきた。
清算できるような過去でもないけど、借金のような心の重りを
改めて、身近な人に話した。

今目の前にある壁を乗り越えるために必要だった。
できるだけ闇はポップに明るく話したいのに、
そのこととなると、もう涙が止まらなくなるのだ。

結果、その人はそれを受け止めてくれ、私もそれを少しだけ消化した。

苦しい過去は闇として葬ってしまいたいけど、
乗り越えられないかぎり、目の前に壁として立ちふさがる。

 

苦しさを抱えたまま走るのは不可能だと今回は思った。
私にしては冷静な判断で、その人も良くそれを聞いてくれたと思う。

 

仕事で挫折した人間にとって、仕事に対する苦手意識なんてそう簡単にきえるもんじゃない。ちょっとしたことでつまずき、「私よりできる人間を採用すればよかっただろうに」と短絡的に思う。
仕事に対する劣等感や自信のなさが言動からにじみ出るようで、それを感じるといわれたこともある。
仕事ができる人になりたいとずっと思っていた。
でも、努力しても越えられない人や限界があるのはわかっていて、
そのことからすべてを悪いようにあきらめようともしていた。

 

でも今日話して思ったのは
何が正解かはないし、私一人の力ではどうにもならないことの方が多い
ということ。
いい意味で「たかが私一人、されど私一人」なのだ。

 

髪の毛がいつもより多く抜けて、自分を大切にしていないという気持ちのままでいたら、こんな時間に飲むホットミルクの味さえ感じていなかったかもしれない。

 

泣きながら過去を話して、それを受け止めてくれる人がいること。
それはそれは、相手にとってどんな負担か想像もつかないが、
一人の人を救っているということは間違いはない。

その人はものすごいポイントをゲットして、徳を積んでいるはず。

 

そんなことを思った肌寒い夜だった。