正解

「何者かになりたい私が、
何者かにならなければならないと思っている君たちに伝えたいこと」

小学5年生の2人に授業をすることになった。
私の生活の身近に子供はいない。
でもみんなと接するうちに、いわゆる子供といわれる
君たちに教えられることって何だろうかとすごく考えた。

巷にはいろんな知識や情報があふれている。
今、「AIが人間にとって代わられる時代だから、自分にできることを探せ、集団の中で突き抜けろ、グローバル社会に対応するために英語を学べ、プログラミングを学べ。」

いろんなことを言われる。何が正解かわからない。確かに、いい大学に入って、いい会社に勤めて、たくさんお給料をもらって、そのお金で豊かに暮らすという選択肢もある。でも、それがすべてではないといいたい。私は進学校を出て、国立大学に入ったが、就職や働くことで失敗しつづけた。それで、心を病んでしまった。
心を病むと社会に戻ってくるのに時間がかかる。それだけはやめてほしいと思う。

だから常に思っていてほしいのは「自分は自分でいいんだ」ということ。
英語を学んだって、囲碁を学んだって、プログラミングを学んでもいいが、それはあくまで、自分の武器を作っているのであって、自分を作ってはいないということ。それを忘れてはいけない。

そして仕事でつまづいて、上司に怒られたって、そんなに気にしなくてもいい。私は、それを気にしすぎて、心を病んでしまった。

君はみんなから失敗を責められたり、信頼している人から裏切られたことはあるだろうか?
いつしかそんな時が来るかもしれない。
絶望、失望、色んな感情が押し寄せてくるだろう。
自分なんかこの世に生まれなければよかったとさえ思い詰めるかもしれない。


でも、世界は広い。
働いているその会社がすべてではないし、通っているその学校がすべてではない。
転職してもいいし、転校してもいいのだ。
だけど、そこで起こった問題に対しては、そこで片付けなければならない。
何もかも放り出して辞めるということは、社会に出ると難しくなる。
それが責任というものだ。
でもそれで心を病んでしまうようだったら、放棄してもいいと思う。
私が思うに心を病むということは、自分を責めることから始まると思う。
できるところまでやっても、ダメ出しをされ、実はそこの人がみんな、自分の考えとは違う人の集まりだというもあるかもしれない。
そんなところはあっさり辞めてしまおう。
それが何年もかけて手に入れた場所でも、手に入れたものであっても、自分を責める前に、放棄しよう。

実は何年もかけて手に入れてきたものは必ずしも自分の答えではない場合だってあるのだ。
世の中の正解とされることは、いろんなところで見聞きするし、学校でも教えられるかもしれない。
ただ、自分の答えは時間をかけて探していくものだ。
義務教育では見つからないし、大学に入って教えてもらえるものでもない。
だから、いつでも考えてほしいのは、自分にとっての答えだ。答えは正解でもなければ、不正解でもない。正解にしていくものでもない。悩んで悩んで出して考えた答え、悩まなくても突然ひらめいた答え、何でもいいけど。「常に自分を大事にした」答えを出してほしい。
犯罪は侵したらいけない、自分で死ぬのもいけない、だからたまには他人に迷惑かけてもいい。本当に困る前に、人を頼っていい。

人に頼ったとき、その人の言うことがすべてになったら、それが自分の答えになってしまうかもしれない。それはその人の答えであって、自分の答えではないから、やめておこう。自分の答えは自分が毎日1分、1秒選択し続けると、きっと見えてくるものだと思っている。「答えを見つけていく作業を楽しんでみたい、苦しんでみたい。」そういう気持ちでいれば、心も病まないような気がすると最近思う。ネットや周りの人の言うことをうのみにせず、自分で考える。自分のスピードで、自分の体や心にも聞いてみる。本当にそれが正しいのかどうか。

違うと思ったら、そのやり方や言われたことを手放してみて、別の人に聞いてみよう。本を読んでみるのもいいかもしれない。その繰り返しをしているうちに、自分に合った答えが見つかるのではないか。誰かに何を言われても、「私はこう考えているから」という軸みたいなものができてくるのではないか。人に批判されたり、失敗したりしてすぐへこんでしまう心の人も徐々に強くなってくるはずだ。

何事も急いで答えを求めても、実は何も手に入らないのではないか。
急いでとびついて転んでしまう人のほうが多いように思う。
自分の頭でしっかり考えること。「自分は自分でいい」と認めること。
この2つを忘れずに進んでいけば、誰とも比較することもない「自分だけの自分らしい人生」が歩めるのではないかと思っている。そんなことを悩んでいる私は、きっと大人じゃない。子供の君たちと変わらないのだ。